古典芸能と偽物

Posted on 2012年3月1日

「オリジナリティは存在せず、全ては模倣から生まれる」

村上隆さんの記事を読んだことで久方ぶりにこの思考が再び頭の中を駆け巡っていていたのだけれど、 偽物語を見てその思いが益々強まった。

あの首の角度、カット割り、それらのほとんどは歌舞伎、とくに女形の仕草や大見得と驚くほど似ている。

これまで、アニメイション全般において、類型化された登場人物が作品を超えて登場するシステムや、異なる世界を掛け合わせて物語を展開する手法などに歌舞伎や人形浄瑠璃といった古典芸能との類似性が指摘されていたと思う。しかし、個人的にはその指摘にあまり興 味が湧かなかった。それらはキャラクターの動き、振舞い、すなわち「絵の連続系であるアニメイションそのもの」というよりは、それらが動きまわる外枠、ス トーリー展開に影響を及ぼすものだ。

外枠に影響を及ぼすという意味においては、その対象はアニメイションに限ったことではないし、ドラマや小説などにも類似性が見られるだろう。それよりもアニメイションたる由縁、動きを構成する1枚1枚の絵やその連続体に類似性が見られたとき、真の意味で、初めてアニメイションに古典芸能との類似性が見出せるといえるのではないだろうか。

シャフト1

偽物語りの場合、もはや演出上ほとんど動いていない止まって いる1枚の”絵”そのもの、あるいはそれが作り出すアニメイション=“動き”に女形からのインスピレーション・流用が確かに見受けられる。また、キャラクターの静止画のカット割りにも大見得との類似性がある。つまり、アニメイションそのものに古典芸能との類似性が見て取れるのだ。それらが、独特の演出と相まり視聴者に評価されているという点は、とても興味深い。

古典芸能では常套手段でやられていたことを、アニメイションに持ち込むことで賛否両論はあれ、あたらしさや特異性が評価される現状。

それは純粋に模倣の連続性からオリジナリティが生まれてくるという思考においても、動きや仕草に対するヒトの認知機構への考察においても、注目したいポイントだ。個人的に、とてもとても、おもしろい現象だと思う。

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