世界の片隅が重なり合うところ

Posted on 2017年1月12日

巷で話題の「この世界の片隅に」。
それに関連して先日こんなニュースがあった。

キネマ旬報ベスト・テン 1位は「この世界の片隅に」 | NHKニュース   http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170110/k10010834341000.html

納得のランキングだったし、こういう映画が評価されてちょっと嬉しくなった。
かくいうぼくも年明けようやくこの映画を観ていた。

前評判をちらほら聞いていたけれど、それ以上に、とてもとてもよかった。
「ズートピア」、「ファインディング・ドリー」、「シン・ゴジラ」、「聲の形」、「君の名は」 etc…。思えば2016年はアニメィション映画が盛り上がった年だった。そんな中でも「片隅」はひときわ輝いているように思えた。
この世界には片隅しかない。その片隅で人はそれぞれの日常を営むし、片隅が重なり合ったところからしか他者を見ることはできない。この映画はそういった普遍的なテーマを投げかけている。

私が見ているものとあなたが見ているものはちがう。
このことは、昨年(実際には遥か以前から)、多くの人が痛切に感じたことだろう。
見ているもの、見ようとしているものの差異は、大きな潮流の中ではどんどん大きくなる。「あなたが見ているものは間違っている」と一蹴することは簡単だけれど、重要なことに、それぞれが見ているものは、それぞれにとっては紛れもないリアルなのだ。

うねりにのまれ、どうにか折り合いをつけて手にしたリアル。その尊さや切なさ、あるいは絶望感を、揶揄することができるだろうか。戦争のリアリティをギリギリまで感じることができないすずの日常を通して、そのことが真摯に描かれているような気がして、揺さぶられた。すずの姿は私達そのものだ。

気になったのは劇中何度か登場する誰かの手。それは空想をスケッチするすずの手だろうか。あるいは、折り合いをつけながらそれぞれのリアルを生きる人々のささやかな願望、祈りの象徴だろうか。柔らかな色彩で描かれたり、うごめいたりする風景もまた、そんな予感を高める。本質的に虚構であるアニメィションが描く手や風景だからこそ、そこには作品全体を貫く強いメッセージが込められている。アニメィションを通して人を描くという使命感のようなものが強く感じられた。

社会はそれぞれの世界の片隅が重なりあって生じる。そんな世界の片隅で人はどう生きるのか。情景映画としての側面に注目したとき、この映画ははかない優しさをもってそのことを突きつけてくる。