インタラクション>>関係性

Posted on 2016年12月15日

先週発売された「人喰いの大鷲トリコ」。
最近ずっとその実況プレイを見ていたが、トリコとプレイヤーのインタラクションがよくデザインされていて、すごくいいと思った。

まず、トリコの動物っぽさがたまらない。

写実的な造形や、一人でいる時の首の振り方、足の運び方。
そういったトリコの見た目、動きのディティールの一つ一つがとても細かく作り込まれていて、かなり動物っぽい。プレステ4のグラフィック、すごいんですね。
そして、そういった表面的なデザインだけでなく、プレイヤーとのインタラクションの様相からも動物っぽさが想起された。

たとえば、ゲームを進めていくと「トリコと意思の疎通ができるようになった」とアナウンスされる。しかし、具体的な操作方法は詳しく説明されない。仕方なく、プレイヤーは色々試しながらトリコに指示を出す。トリコもその意図を組もうとしているかのように、プレイヤーの方をじっと見つめ色々動く(この動き方もとてもリアル)。ここで社会的相互作用(の錯覚)が生まれる。やがて、多少うまくトリコに意思を伝えられるようになるが、しかし、完全にはうまく御すことができない。

この試行錯誤しながら徐々に相手とインタラクションの回路を形成していく過程や、それでもなお生じる微妙な不一致、その時の反応が、実際の動物とのそれにとてもよく似ている。ゲームという外枠が決まった中でのやり取りとはいえ、よくできているなあと思った。

そして、おもしろいことに、プレイヤーはそんなトリコとのやり取りを経て、「トリコ、かわいい」と思ってしまうらしい。実際、何人かの実況やコメントを見たけれど、みんな、トリコに対して可愛いと好意的な反応をみせている。ぼくも可愛いと思った。

「これをすると相手はこんな反応をするだろうな」というような予測と結果の繰り返し、社会的相互作用により他者との安定的なインタラクションの回路は徐々に形成されていく。しかし、とくに言葉を持たない相手とのインタラクションにはどこかに不一致が必ず生じる。
ベビースキーマや社会的シグナルへの接近動機、あるいはmind-mindedness (MM; 母親が乳児の心的状態に注意を向け、心を持った対象として扱う傾向)はその不一致を乗り越え、相手と関係性を構築する上で大きな役割を担っている。しかし、たぶん不一致そのものも重要な意味を持っている気がする(完全な不一致ではだめで、その塩梅が重要)。とくに、MMにはインタラクションにおける不一致が重要な気がする。完全な勘だけれども。最近、言葉を持たないものとのインタラクションが多いので余計にそう感じるのかもしれないが、トリコの造形とインタラクションのデザインコンセプトにも、微妙な不一致が生み出すポジティブな効果が意図されているような気がしてならない。もしそうだとしたら、その狙いは見事に成功しているだろう。

他者との関係性がどのように構築されるのか、対動物はいいモデルになるだろうと思っているが、はからずも、動物をモデルにしたゲームでそのことが再認できたことは、とてもおもしろい。

映像とてもきれいだし、トリコかわいいし、PS4、欲しいです。