ぼくらは何を見ているのか

Posted on 2016年3月19日

ボトムアップの感覚入力と、トップダウンの感覚処理。そのバランスで生まれてくるヒトの情動・内的反応。その結果立ち上がるヒトの社会。ユキュスキュルがかつて指摘したように、感覚を知ることは世界を知ることに繋がる、ということを強烈に思い起こされる動画だ。

最近、感覚について考えることが多い。
とくに、触覚とそれによって生じる情動について、ぐるぐると考えている。
それもあって、このようなVRを用いた感覚ハックにとても興味を惹かれる。

ぼくたちが世界を認識するために感覚は必須の要素である。外界の物理刺激を受容・処理し、情動を含む様々な内的反応をもって外界に働きかける。それが感覚の究極の存在理由、根本的な概念だ。

遥か昔から人は自身の感覚について想いを馳せてきたらしい。古代ギリシャの哲学者、アリストテレスは2000年以上も前に既に感覚に言及し、感覚は味覚・触覚・聴覚・視覚・嗅覚の5つに分類できると分析していた。感覚研究の歴史はとても古い。当たり前のように存在しているものほど、その研究の歴史は古くなるのだろう。しかし、経過した時間とは裏腹に、いやだからこそとも言えるが、感覚には未だに分かっていない謎が多い。

とくに感覚情報のトップダウン処理については現代でもなお、未知の領域になっている。

物理的には同じ触覚刺激なのにも関わらず、刺激に対する反応がその他の感覚刺激(ヒトの場合大半は視覚情報)や経験・知識からの修飾により変化してしまうことがある。ある種の「思い込み」、「主観評価」により、同一の物理刺激への情動・生理反応は簡単に変わってしまう。例えば、仲のいい人に撫でられたら心地よいのに、仲の悪い人に撫でられたら不快になる。BGMによって映画の印象は大きく変化する。少し思い返せば、こういった現象をぼくたちが日常レベルで経験していることに気づかされる。にもかかわらず、このような現象がなぜ生じるのか、その答えが見つかっていない。

ぼくたちは、主観的な世界に生きている。
その主観的な世界を構成する感覚情報の処理機構、世界の眺め方を明らかにすることは、ぼくたちが生きている世界を理解することに繋がる。

ぼくたちは何を持って世界を、社会を、そして他者を認識しているのか?
ぼくたちはなぜ他者に執着するのか?他者は生物でなければいけないのか?

大きな疑問は枚挙に遑がない。すこしでもこの疑問に迫るためにも、動物が何をどのように感じているのかということを解き明かしていく必要がある。その時にVRのような、感覚をハックできるデバイスはどんな恩恵をもたらすだろうか。

すでにいくつかのラボではVRを用いた認知実験を開始し、興味深い研究結果を報告し始めている(*1, 2)。個人レベルでもVRを用いた興味深いアプリを開発している人がいる(*3, 4)。今月末にはOculus rift(*5)が、今年秋にはPlayStationVR(*6)が発売されるようだが、VRの民主化は今後もっと加速するんだろう。それに伴いVRをもちいた研究も民主化されるかもしれない。今まで気づかなかった自分の感覚の曖昧さを多くの人が体験し、知ることは新しい価値観やアイディアが生まれるきっかけになるように思える。どんな研究が、作品が、アイディアが今後登場してくるのか、考えただけでも刺激的だ。

*1 Virtual Body Posture Influences Stress
https://youtu.be/P9OXRDc3flU

*2 eventLab
http://www.event-lab.org

*3 初音ミクになって仮想空間を満喫できるアプリ作ってみた
 http://www.nicovideo.jp/watch/sm28424103

*4 MikuMikuSoine(ミクさんと添い寝できるアプリ改)を作ってみたhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm22268397

*5 Oculus Rift
https://www.oculus.com/ja/

*6 PlayStationVR
http://www.jp.playstation.com/psvr/