主体性の行方をめぐって

Posted on 2015年4月28日

先日、これを観ました。
《ROPPONGI ART NIGHT 2015 SENSELESS DRAWING BOT》

アーティストのHouxo Que さん(Qさん, 人間)とSENSELESS DRAWING BOT (Bot, マシーン)によるライブペンティング。人と機械が共に並んでペインティングする試みはかなり珍しい(世界初?)とのことで、人と人工物のインタラクションに強く興味を抱くぼくにとって観ないわけにはいかないイベントだった。

イベントは日付が変わる少し前に始まった。ブラックライトで怪しく照らされた壁に向かい、鮮やかに光り輝く蛍光のペンキを慎重に、時に激しく走らせる人間。飛び散るペンキや、瞬時に構図が変化していく一回性の緊張感はライブペンティングならではの醍醐味だろう。

一方、その横で不意に動作を開始したマシーン。
マシーンは左右に揺れ始めると、二重振り子を勢いよく回転させ、その先に取り付けられたスプレーを壁に吹きかけた。複雑で周期性のない二重振り子の振る舞いと、一定以上の加速度に達することで吹き付けられるスプレーにより、鋭い線が引かれていく。

(SENSELESS DRAWING BOTの実際の動き。かなり激しい動きをする。)

そして、人間とマシーンの線が壁面で交わり始める。マシーンが描く線は二重振り子のカオスの動きに依存しており、人間が描いた色の上にも分け隔てなく、容赦なくスプレーを吹きかける。人間はマシーンの無作為の線につきあいながらペインティングを続ける必要がある。この両者の交差は先が見えないペインティングの行く末をさらに煙に巻いていた。その煙の中でぼくの思考はぐるぐると巡った。

人間 vs 機械 ?

そもそも、このマシーンは作者の意図、主体性を強く主張するグラフィティという行為からあえて意図性を排除することでその行為そのものの意義を考察する目的で制作されたらしい(*1)。そのマシーンが人間と並び立ちペンティングする様子からは無作為と作為の対立構造を見てとれる。

しかし、実際はただ単純に対立するだけではないように思えた。壁面の情報を刻一刻と変化させ、人間の作為を絶えず更新するマシーンは作品を予測不能な方向へ導くという意味で片利共生(*2, *3もぜひ)の可能性も提示しているし、意図性を排したマシーンの線が再び人間の意図性に取り込まれる構図は、環境を認識し、その上で何かを主張する行為の特性を際立たせていると言える。そして、重要なことに、それこそが“主体性の主張”というグラフィティの根幹のように思えた。SENSELESSなマシーンがSENSEを持つ人間と共同することで、“主体性の主張”が浮かび上がる点は非常に興味深かった。

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SENSELESSからSENSEへ

主体性を考える上でライブペンティングを観ている観客の感想もとても興味深かった。
ペインティングの後半、バッテリーの不調か、マシーンの動きがすこし鈍くなったように感じた。すると、何人かの観客が「元気なくなっちゃったね。もっとスプレーしてほしいな」、「ロボットもがんばって」と口にし始めた。まさに、マシーンの擬人化である。

先の動画や写真からも分かるようにペインティングを行っているマシーンは人の形はしていない。電動スケートボードに二重振り子が取り付けてあるだけの極めてシンプルな、そして機械らしい姿をしている。およそ人間らしさは感じられない。しかし、擬人化においては、対象が必ずしも外見的に人や生物に類似している必要はないことが指摘されている。擬人化する上で、Agent knowledge (人間に関する知識), Effectance motivation (動作の理由を説明する動機), Social motivation (社会的な繫がりへの動機)の3つの要素が重要であることをEpleyらは指摘している(*4, Elpey et al., 2008)。また、Fusselらは擬人化されたエージェントと事前に接触することで擬人化されたエージェントを受入れやすくなることを指摘している(*5, Fussell et al., 2008)。さらに、社会的なやり取りを観察することで対象に対する擬人化が促進されることも指摘されている。実際、大人とロボットがインタラクションしている様子を観察することで、その後、そのロボットの視線を追従するようになることが報告されている(*6, Meltzoff et al., 2010)。

今回のライブペイント中、マシーンは自由気ままに動いていたが、マシーンに筆があたらないよう(あるいはマシーンに腕を折られないよう)に人間が立ち位置に気をつけていたり、マシーンの動きに笑っていたりしていた。決して双方向の動きではないが、これら人間からマシーンへの働きかけと、同じ壁面に絵を描くという前提文脈(作品テーマとも言えるか)が、観客にマシーンへのエージェンシー(行為“主体性”)を感じさせたと考えられる。またしても、SENSELESSなマシーンがSENSEを持つ人間と共同することで機械の主体性が浮かび上がってきたのだ。

歩調や呼吸、あるいは拍手などが無意識に同期する「無意識的な協調行動」が社会的な関係性に影響を及ぼす可能性が指摘されており、無機物のエージェンシーのデザインに同期やリズムが役立つことが期待されている。現在も様々なアプローチからこの点について検証が重ねられており、今回のイベントは示唆に富んでいるように感じられた。
(*7, 最近、このような大型プロジェクトも開始されている。新学術領域研究 認知インタラクションデザイン学)

イベント終了後、残されたマシーンは色鮮やかに彩られた(ぼくの写真じゃ伝えきれない)壁面の前に静かにたたずんでいた。動きを止めたそれは、もはや行為主体性の無いただの機械だったが、人間とコラボしたという物語が付加されたことで、マシーンに対する人々の印象が変化したかもしれない。その変化は人と人工物の関係にどのような影響を及ぼすのだろうか。あるいは、ブラックライトがなければ浮かび上がらない色のように、儚いものなのだろうか。

作為の有無、主体の行方を巡る思考を軽々と飛び越え、壁面はただただ絶対的にそこに輝き続けていた。非常に刺激的な深夜のアートナイトだった。

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<参考>

*1, [Works] 菅野創+山口崇洋《SENSELESS DRAWING BOT》

*2, Wikipedia <片利共生>

*3, 湯本貴和, 現代キーワードとしての「共生」

*4, N. Epley, A. Waytz, S. Akalis, J. T. Cacioppo, When we need a human: motivational determinants of anthropomorphism, Social Cognition, 26, 143-155, 2008.

*5, S. R. Fussell, S. Kiesler, L. D. Setlock, and V. Yew, How people anthropomorphize robots, 145-152, 2008, Proceedings of the 3rd international conference on Human robot interaction – HRI ’08.

*6, A. N. Meltzoff, R. Brooks, A. P. Shon, R. P. N. Rao, “Social” robots are psychological agents for infants: a test of gaze following, Neural Networks, 23, 966-972, 2010.

*7, 新学術領域研究 認知インタラクションデザイン学