ある映画における食

Posted on 2012年1月20日

3本の映画を観た。

『かもめ食堂』

かもめ食堂

『めがね』

めがね

『南極料理人』

南極料理人

どの作品も物語において食が重要なキーとして描かれている。映画やドラマの中に登場する料理をコーディネイトするフードコーディネイター、フードスタイリストと呼ばれるスタッフがいるらしいのだが、この3作品はすべて同じ人がフードコーディネイターを担当されている。

飯島奈美さんです。
ほぼ日でも何度も対談されていて、その業界では有名な方らしい。レシピ本もたくさん出されているようで、どの料理もとてもおいしそう。
映画の中でも素敵な料理がたくさん登場していた。

しかし、その食の描かれ方は映画によってまったく異なっていた。
『かもめ食堂』や『めがね』では、余裕ある人々のぼんやりとした日常・不安からの再生の様子が、“ていねいな料理を、ていねいに頂く”、というメタファーを用いることで描かれていた。
一方、『南極料理人』では家族と遠く離れた極地で男だけで生活することのおかしさ、厳しさが、“出された料理を、なりふり構わず夢中でむさぼる”、というようにメタファーで描かれていた。

そのコントラストがぼくにはとても面白く思えた。

おしゃれですてきな、エンターテイメントの一部、ファッションの一部となりえる食と、
生きるため、自らの血肉とするために食らいつく、生臭い栄養源としての食。

どちらも食べてしまえば体内で代謝され、エネルギーに変換されるわけで、結果は同じ。それでも、食に対する人々の意識を鑑みると、大まかにこのような2つの性質、側面がある。
その2つの側面が、たとえ同じフードコーディネイターが作る料理であっても映画のテーマによってここまできれいに抽出され、描かれるというのは大変興味深い。

どのような人びとが、
どのような心境で、
どのように料理をし、
どのように食するのか。

そのような観点から生み出される食の在り方、描かれ方の大きな差異は「食のメディア化」を考える上で非常に重要な要素であることは間違いないだろう。

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