美少女の美術史

Posted on 2014年10月12日

所用のため静岡へ行っていた。
ぼくが通っていた高校は静岡は日本平の茶畑の中にある。日本平は県立大学や動物園、中央図書館などが並ぶ文化地区なのですけれど、県立美術館もそこにある。そこで運良く気になっていた企画展が巡回しに来ていた。

「美少女の美術史」http://bishojo.info/

 

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美人図」が盛んに制作された江戸時代から、「少女」が誕生した近代を経て、「美少女」が日々メディアをにぎわす現代にいたるまでの様々な少女のイメージを探索し、私たち日本人が少女という存在に何を求めてきたかを振り返るものです。(公式HPから引用)

 

谷口真人さんの作品も展示されているというし、行かないわけにはいかない。久しぶりの日本平に懐かしさを感じながら早速鑑賞へ向かた。

思ったよりも小さな規模の展示だったけれど、知りたいことがちょうどいいサイズのストーリでまんべんなく散らされていてとても勉強になった。展示の締めくくりも谷口さんのあの子でまるっとまとまっていて、とても理解しやすい。

作品それぞれに興味深いところはあったけれど、とくに印象深かったのは、あの子の中に写る自分の姿とあの子との距離感についてだった(大きな鏡を使った作品なので、鑑賞者の姿と描かれた少女の姿が並んで写りこむ)。

谷口さんの作品はいつも東京で鑑賞していた。鏡には「東京にいる自分」が写っているわけだ。だが、今回はさまざまな感情渦巻く「静岡にいる自分」が鏡に写りこむ。たったそれだけの差なのに、自分がどこにいるのか、そこでどんな感情を抱いているのかという違いによって、あの子との距離感も違って感じられたのだ。

物言わぬ絵の具の少女に対する自分の立ち位置が、現実世界の周囲の環境によって大きく違っていることを感じさせられ、相対的な社会性といいうことについて味わい深い思いを抱いた。

作品世界に鑑賞者を取り込む作品には、こういう作用が備わていることをあたまでは分かっていても(コンテキストを読むことはできても)、実体験として肌で感じることは貴重なことかもしれない。

竹久夢二、高畠華宵から高度成長期におけるデフォルメ化と、90年代後半のメランコリックとキャラクタァ消費の加速化、現在の萌えへという流れ、そして、その先にひっそりとたたずむ鏡の中のあの子。いろんな妄想が膨らんだ。