そんな世界でなにを想う?

Posted on 2013年7月26日

ダークホースなアニメイション「ガッチャマンクラウズ」が予想以上にダークホースだった。

「あらゆるネットが根根を巡らせ、光や電子となった意思をある一方向に向かわせたとしても“孤人”が複合体としての「個」となる程には情報化されていない時代…」

これは攻殻機動隊 stand alone complexのイントロダクションに登場する言葉だ。脳をデバイス化することで個人の感覚を直接他者に伝達できたり、記憶を共有化することが可能となった近未来が舞台となっている同作。自他の境界が曖昧になったことで、個人の認識、行動が他者に強く伝搬し、意識の奥深く、時には無意識にまで浸透するようになった世界。そんな世界観を背景に、個々人の独立した挙動が、カリスマ・英雄をハブとし、全体としては一定の方向性へ動き始める、そんなstand alone complex現象が物語のキーとして描かれてる。

監督の神山健治さんはその後も攻殻機動隊とは別の方法でstand alone complexを描こうとした。それが、「東のエデン」だ。

「この国の“空気”に戦いを挑んだひとりの男の子と、彼を見守った女の子のたった11日間の物語」というキャッチコピーからも伺えるように、東のエデンでは11発のミサイルが落下した後の日本において、どうしたら「あがりを決め込んだおじさんたち」から国の行く末を取り戻せるのかと奮闘する主人公(≒救世主)が描かれる。主人公はまるで感情がない、概念のような存在なので、本人に救世主としての自覚はないと想うけれど、物語における機能は救世主だ。

100億円の電子マネーがチャージされた携帯電話・ノブレスケータイを使い、2万人のニートをドバイへ輸出したり、自らを国の王様にするよう申請したりと、そのやり方は攻殻機動隊とは違う。けれど、言語化することが難しい、社会を覆う“空気”の変革のために英雄が祭り上げられ(要請され)、その英雄は必ずしも自覚的ではないということが、根幹に共通して描かれていると思える。もちろん、この英雄の出現によりstand alone complexが形成されるということも共通している(東のエデンの場合、「上がりを決め込んだおじさんたち」によるstand alone complexが国家というシステムにより形成されており、そこに新たなstand alone complexを形成するために滝沢が機能する、と捉えることができるか)。

個人と社会の相互作用をアニメイションとして迫ったこれら作品は、動物の社会性について考えることが多いぼくにとって、とてもとても興味深いものだった。

“空気感”はどこから生まれるのか?

イレギュラーの登場によりマイノリティとマジョリティの立場が反転する生物学的現象、メカニズムは存在するのか?

ずっと抱いていた妄想をこれらアニメイションはより一層加速してくれた。

翻ってアニメイションから目を離し、現実社会を見つめ直すと、twitterやfacebookといったSNSの台頭により、何万何億ともいう人々の有象無象の意思が毎日毎日、飽きもせず発信され続けている現状がある。こういった状況は、まさに社会を覆う“空気感”を可視化していると言えるのではないだろうか?

mixiで言うところのコミュニティ
facebookでいうところのグループ
twitterでいうところのタイムライン

それらを覗いてみれば、そこに漂う空気感を見て取れるのではないだろうか。

こういった現状を踏まえると、これら可視化された空気感をある一定の方向に束ねることができれば、英雄や救世主のような強烈な楔が登場せずとも、アニメイションで描かれていたstand alone complexを、場合によってはより現実的に効率的に再現し、社会を変革できるのはないか、と妄想が浮かんでくる。また、空気感はSNS上で可視化され、共有されやすくなっているのだから、ほんの少し後押しで、あとは勝手にstand alone complexが自律的に生じるのではないかとも思える。そんなことを妄想していたら、まさにそんな妄想を抱いて作ったのではないかというアニメイションが7月から放送開始された。

それが、中村健治監督の「ガッチャマンクラウズ」だ。

ガッチャマン3

タツノコプロの、あのガッチャマンの完全新作だ。放送開始前、中村作品らしい奇抜で、およそガッチャマン要素は皆無なキャラデザに驚いたし、第1話を観た後も、めまぐるしく変わるキャラクタアの言動に振り落とされそうになってしまった。けれど、回を重ねるごとに、この作品のテーマがstand alone complexを描こうとしていることが垣間見え、驚いた。公式webサイトで中村監督はこんなメッセージを記している。

世界は今、2つの新たな局面に差し掛かっています。1つ目は、有史以来初めて、僕らの心がネットにより可視化された事。可視化された心が起こす様々な問題や騒動をどう捉えていいか解らず、個人も社会もただただ戸惑っています。

2つ目は、拡大した僕らの世界はあらゆる分野が細かく専門化され、1人の人間ではその全容を理解する事が不可能になっている事。それでも僕らは、1人の優秀なリーダーが全てを抱えてくれると盲信しています。

この2つの事象は偶然なのでしょうか?可視化された僕らの心は、何か良い事にも使えるのではないでしょうか?

その事を考え、『GATCHAMAN CROWDS』という作品を描きたいと思います。

英雄を求めてしまう群衆の闊歩、攻殻機動隊や東のエデンにおけるstand alone complexにもつながるテーマではないだろうか。
しかし、本作は先述の2作品とは類似しているだけでなく、SNSが浸透している現実社会の状況により即した形でstand alone complex、社会の変革について描いている。そのキーとなる存在が、作品内に登場するGalaxというケータイアプリだ。

これは、ラインとアメーバピグとtwitterを掛け合わせたようなアプリで、アバターが仮想空間上にいるのだが、何か困ったことがあったときに話しかけると、搭載されているAIが音声で情報を引き出してくれる(siri的な)。また、Galaxを利用しているユーザー同士をつなげ、困っていることを解決する助けをしてくれます。問題が解決されると「世界がアップデートされました!」というメッセージが流れ、ポイントがもらえる仕組みになっている。

これは、前2作とは大きく異なる点だ。まさに、英雄の不在の中で生じた、英雄を必要としない不特定多数の個人による世直し促進アプリだと言える。

ガッチャマン2

「世界をアップデートするのはヒーローじゃない。僕らだ。」

GALAXの企業コピーは英雄の存在を否定するものだ。では、英雄であったはずのガッチャマンは、この世界の中で存在価値を見いだすのだろうか。GALAXがある日突然アップデートする方向性を密かに操作していったとしたらどうなるのか?stand alone complexがシステムとして組み込まれれば、笑い男や滝沢郎はもはや不要なのか?(攻殻機動隊 stand alone complex solid state societyではこのあたりが描かれていたと思います。そして、こういったシステムによるSACは実際、あちこちにあるでしょう。)

奇しくも、GALAXのユーザーのことを作品内ではギャラクターと言っていますが、これは歴代ガッチャマンが戦ってきた悪の秘密結社の名前と一緒だ。

空気感をシステムがコントロールする、あるいはシステムの存在が空気感を作り出す世界において、stand alone complexはどのように形成されるのか、そもそも、英雄がいなくとも、ほんの少しの舵取りで本当にstand alone complexは形成されるのか、今後の展開が楽しみな作品だ。(中村監督らしい独特の色彩、キャラデザ、アプリなどの精緻な美術デザインもとても魅力的です。)

ガッチャマンクラウズ
現在放送中
http://www.ntv.co.jp/GATCHAMAN_Crowds/index.html 

2013.8.29追記

こんな記事がネットメディアにて紹介されていた。
「リーダーは作られるものではなく生まれつきの資質によるもの。魚の研究で明らかに(英研究)」

「リーダーシップとは生まれつきの素質であり、誰もがリーダーになれるわけではない。動物の群れでも人間社会でも、各自の素質に従った天性の役割があり、それを無理に変えようとすると問題を生じる可能性がある。」というという研究結果を、英ケンブリッジ大学動物学科の研究チームが英国王立協会紀要に発表した。

原著はこちら。
Experience overrides personality differences in the tendency to follow but not in the tendency to lead

社会性をちょっと操作することで集団がどのように変化していくのか、その挙動をまるごと解析できないか、解析できたら面白いことが分かるのではないか、妄想がさらに拡がる…!