実像と虚像の間をゆらゆらと

Posted on 2013年4月22日

『惡の華』を観ました。あまりこういう言葉は使わないのだけれど、言わせていただくと、「ぶったまげ」ました。なんと、このアニメ、全編ロトスコープで作成されているのです!なぜ、今ロトスコープなのか。駆け巡る妄想を忘れぬようにメモ。

ロトスコープアニメイションとは、実写を撮影し、その上から1コマ1コマ、アニメーターが線をトレースすることで緻密な動きの描写を可能にするアニメイション手法です。単純に考えれば分かるかと思いますが、実写撮影とアニメイション作成という2倍の労力がかかる極めて贅沢な手法です。実際、その作業量は膨大なようで、主にcmやMVのような短い作品でしか目にしたことがありません。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=h9Jtnhb4atU
(「サントリー烏龍茶のCM」2006年)

ディズニーは白雪姫からラプンツェルまで一部にロトスコープを採用していますが、それでも近年、大真面目に長編のロトスコープアニメイションをやったのは恐らく「A Scanner Darkly」くらいです。

http://www.youtube.com/watch?v=oVnvilLFk2Y
(「A Scanner Darkly」2006年, Richard Linklater)

このように作品の数自体がとても少ないことからも、その作業の大変さは想像に難くありません(ロトスコープにする意味が見出されない、という点も大きいですが)。作画崩れはおきない(できない)し、極端なリミテッドアニメイションにすることも難しいロトスコープアニメイション。それを、30分、全13回のテレビシリーズで取り入れるなんて、前代未聞です。作業量を考えただけで素人ながら戦慄してしまいます。

そもそも、ロトスコープアニメイションは後にディズニーとライバル関係になる、マックス・フィッシャー(Max Fleisher)さんにより1900年代初頭に発明された、意外に歴史の長いアニメイション手法です。

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=Pd-j3k06V38
(「インク壺の外へ] Out of the inkwell, 1921年, Max Fleisher)

「インク壺の外へ」はそれなりに成功を収めましたが、同時にその手法にも注目が集まり、後にディズニーやラルフ・バクシ(Ralphe Baksi)もロトスコープを作品に取り入れるようになりました。とくにウォルト・ディズニーは大きな影響を受けたようで、よりリアリティのあるアニメイション表現を目指し、白雪姫ではダンスのシーンなどに積極的に取り入れていったようです。(フィッシャーから直接的な影響を受けていなくとも、ディズニーを介して間接的にロトスコープを採用するアニメイター、アニメイションスタジオも増えたとか、増えなかったとか)

その一方で、そのコストパフォーマンスの悪さとは別に、実写から忠実に動きを作る行為がアニメイションという「運動の創造」とは逆行しているという批判や、そもそも「複雑から単純へ」、「要素分解」の性質を持つアニ メイションにおいて、忠実さを求める意義はどこにあるのか、など多くの疑問もあがりました。これらは「そもそも、アニメイションとは何か?」、「我々は何をもとに運動を知覚するのか」、「どんな要素に存在感、キャラクター性を感じるのか」という根源的な問いへ繋がる、注目すべき問題提起であり、リミテッドアニメイションと対極に位置するロトスコープアニメイションの面白み、醍醐味であると言えます。

翻って『惡の華』をもう一度観てみます。そこに登場する人物は、表情などは比較的簡素化されていますが、動きはとても細かく描かれています。一般的に、実在の人物をキャラクタア化、アニメイション化する時、その「特徴」や「性質」を“抽出”することで作品世界とのマッチングを図ります。しかし、ロトスコープの場合、実在の人物の輪郭をなぞることでアニメイションを作るわけで、どちらかというと“写生”に近くなります。つまり、悪の華には絵としての「キャラクター性(虚像)」と、動きとしての「リアルさ(実像)」が同時に存在しているのです。キャラクターっぽいのに動きはリアル、動きがリアルなのにキャラクターっぽい。そののギャップが作品の不気味さを醸造する仕掛けとなり得ているように思えて仕方ありません。

実像をなぞる事で描かれる存在は果たしてキャラクタアなのか?
むしろ実在と虚構の狭間に揺れる曖昧で不気味な存在と言えるのではないか?
そういった疑問もわいてきます。

 (岡ノ谷情動情報プロジェクトの松田先生は「親近感」を覚える対象と「新規感」を覚える対象、そして、それらがミックスされ親近感と新規感が同時に存在する“日常からの逸脱”を具現化した対象に対する赤ん坊の様子を観察し、なぜ、微妙におかしい対象にヒトは特殊な感情(たとえば不気味の谷)を抱くのか考察されています。

Infants prefer the faces of strangers or mothers to morphed faces: an uncanny valley between social novelty and familiarity?
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20120613/index.html )

ボードレールの「悪の華」(堀口大學訳版!)を読む主人公は、「毒の芽吹き」のごとく妄想に狩られます。その様子は、どこか退廃的で存在が希薄で、けれど生々しくどこにでも居そうで、まさに実存と虚構の狭間に揺れているような存在です。

そのような主人公、登場人物達が、ロトスコープという手法により描かれるとき、そこには作品テーマの本質的なものが立ち現れてくるのではないか。そういう勝手な期待が沸き上がり、次回が楽しみで仕方なくなります。

惡の華
2013年4月より放送中
http://akunohana-anime.jp

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