CGMとキャラクタ

Posted on 2012年9月29日

今さらなんだけれど、初音ミクに強い関心を抱きました。

そして、乱雑極まりない妄想が広がってしまいました(恐らくこういった妄想って15,6年くらい前からいろいろな方が抱いていたんだと思います。)

硬い情報やわらかい情報

ネッ トの普及と共に劇的なスピードで広がりを見せたConsumer Generated Media(CGM)と呼ばれるネット世界。twitter, facebook, YouTube, pixiv、ありとあらゆるCGMで毎日膨大な量の情報(User Generated Content; UGC)が発信されています。けれど、初音ミクに関してはこれらとは一線を画する面白さがあると思いました。

従来のCGMと言えば 、多くの場合そこで発せられるUGCはすぐさまちりぢりに散在していくように見受けられます。なぜなら、そこにある情報は基本的に一次利用されることのみを意図して発せられているからです。「今日行ったランチ、おいしかった」とか「娘が幼稚園を卒園した」とか、 そういった情報は主観的・客観的事実を伝えているに過ぎず、二次利用されることはほとんどありません。このような変質すること/されることのない情報をぼ くは”硬い情報”と呼ぶことにしました。硬い情報はログとしては保存されても、時間の経過と共に情報の渦に飲み込まれ、ネットの海をあてもなく漂うだけになります。

こういった“硬い情報”の対にあるのが、“やわらかい情報”です。

“硬い情報”が一次情報のみを伝えるのに対し、 “やわらかい情報”は受け手の価値観などによって大きく変質しうる情報を伝えます。写真・絵画・詩などの創作物がこれに該当するのではないでしょうか(ちがったらごめんなさい)。そして、このような“やわらかい情報”は時として二次創作(パロディ化)を促すことがあります。たとえば、アニメのキャラクタという、極めてやわらかい情報は同人活動という二次創作を支える原動力となっています。そういった意味では、ネットがこれほど生活に溶け込む以前から存在していたコミケは、やわらかい情報をネタにして個人が情報発信する場であると言えるのではないでしょうか。けれど、その一方でやわらかい情報に基づくCGMは 単なるweb2.0的なCGMとは異なる性質を内包しているように思えます。それは、情報の源にネタとして祀り上げられているキャラクタが存在している、と言う点です。そして、それは初音ミクというCGMにも同じことが言えます。

先にも述べたとおり、従来のCGMの多くは一次利用される硬い情報により成立しているため、情報の消費・散在スピードが速く、それぞれの情報が消費者の手によって更新されることはほとんどありません。けれど、たとえば初音ミクの場合、どんな情報が発信されようと、その根幹には常に初音ミクや初音ミク的なキャラクタが存在しています。初音ミク的UGCによって初音ミクというCGMが常に更新・拡張されているというイメージとでも言いましょうか。これは硬い情報では決して起き得ない、やわらかい情報だから こそ成立し得る現象なのではないでしょうか。

『なぜキャラクタなのか?』

やわらかい情報によって展開されるCGM。ではなぜ、キャラクタというやわらかい情報によってCGMは拡張するのでしょうか?

ある生産者が初音ミクの楽曲を発表します。すると、それにインスパイアされた元消費者によってPVが発表される。さらにそれにインスパイアされた元消費者によって3Dモデルのデータが発表され….

このように一番初めの初音ミクというオリジナルキャラクタに対し、二次生産者が新たな情報を追加していくパロディの連鎖により初音ミクというCGMは大きな 広がりを見せました。当たり前のことですが、ここで重要なのは追加される情報は初音ミクというキャラクタに帰属されるという点です。たとえば、初音ミクが持っているネギもパロディ化の過程で追加された新しい情報であり、きちんとオリジナルキャラに情報が帰属しています。このような連鎖はやわらかい情報が解釈や編集の 自由度が高く情報を追加しやすいことに起因して起きると思われますが、これはつまり、オリジナルのやわらかい情報にそもそも内包されている情報量(注①) が少なく、簡単に情報追加(キャラ付け)ができることを意味しているのではないでしょうか?実際、オリジナルの初音ミクには「作成した音楽を歌えるという 特性」と「青い髪のポニーテールというイラスト」程度しか情報を持っていないわけで、キャラクタ性がほとんどありません。だからこそ、消費者・生産者はオ リジナルキャラクタに新たなレイヤーを自由に追加できるわけです。これに関して、twitter上でpsypubさんという方からこんなメンションを頂き ました。

「庵野監督は、二次創作には、空っぽのキャラのほうが適してる(喜ばれる)みたいなことを言ってて、具体的にはセーラームーンを挙げてた。」

調べてみると庵野秀明さんへの東浩紀さのインタビュー記事が1996年10月号のSTUDIO VOICEに掲載されており、上記のような発言がありました。消費者は空っぽのキャラクタ・世界観さえあれば、後は自分で創作を続けるという趣旨の発言です。本当に確信を突いたコメントだと思います。では、なぜ、ヒトは情報量が少ない空っぽのキャラクタを好むのでしょうか。ヒトの認知機能や社会認知の研究領域でこの疑問に示唆を与える知見は得られ ているのでしょうか。恐らく得られていないでしょう。けれど、ヒトがキャラクタ・他種他個体を嗜好し、かわいらしいとか、接してみたいとか、そういった感 情を抱くメカニズムについての研究は為されています。コンラートローレンツまで、あるいはさらに昔までその流れを遡ることができるでしょう。

『なぜキャラクタに意識を感じるのか?』

と、 ここまで長々と妄想の前段階を書いてきました。ここから、いよいよ散り散りになっている研究報告を照らせ合わせながら妄想を膨らませよう、というところな のですが、残念ながらこれらの研究を統合的に解釈し示唆を得るにはまだまだ勉強がたりませんでした。。。肝心なところが詰め切れず、我ながら歯痒い思いを しております。いつか整理したいです。その時のために、いくつか大切になりそうなものをリンクします。

Monkey visual behavior falls into the uncanny valley (http://www.pnas.org/content/106/43/18362.short)

The development of the uncanny valley in infants (http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/dev.20583/abstract;jsessionid=3FD90127AA9C17069F19BBFAC8389B0F.d02t03?deniedAccessCustomisedMessage=&userIsAuthenticated=false)

「アードディレクターの仕事とヒトの認知のこと」(http://so-mind.com/?p=128)

The Mysterious Noh Mask: Contribution of Multiple Facial Parts to the Recognition of Emotional Expressions (http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0050280)

このあたりの報告やメモを解釈し、研究を進めながら、妄想を少しずつ言語化していきたいと思います。

(注①);「情報量が少ない」というのは「描き込み」などの物理的な情報量を意味しているのではなく”文脈の量”のことを意図しています。

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