共感するということ

Posted on 2012年3月10日

最愛のペットを失い涙する飼い主をみて、悲しい気持ちになる。

スポーツの試合で歓喜をあげるアスリートをみて、うれしい気持ちになる。

寝ている赤ん坊の瞳にキスをする母親をみて、おだやかな気持ちになる。

誰しもがこういった類の経験をしたことがあるのではないだろうか。ぼくらは他人の悲しみに悲しみ、喜びに喜ぶことができる生物だ(その逆も然り)。他人の気持ちに自分の気持ちを重ね合わせることは、様々なコミュニケーションを円滑にし、誰かのために行動したり協同するような親和行動を促す(もちろん、その逆の側面も持っているでしょう)。このような「他者の情動状態から同一の情動状態を自身に想起する」能力は“共感”と呼ばれている。広く自然に目を向けてみると、多種多様な動物たちが他者の行動に共感しているような場面 に出くわす。こういった動物たちは共感能力を持っているのだろうか?あるいは、共感しているように見えるだけなのだろうか?そもそも共感とは何なのか?本当にそういう現象があるのか。

共感には大きく分けて2つのレベルのものが存在するのではないかと考えられている。その2つがBody channel(随伴性チャネル)による“伝染”とCognitive channel(認知チャネル)による“視点取得”だ。

伝染とはそのままの意味で、相手の状態が自身に伝搬することをいう。たとえば、こんな動画。

Skype Laughter Chain

Contagious yawning in chimpanzees

この動画を見てどのように感じるだろうか?自然と笑みがこぼれたり、あるいはあくびをしたくなったりするだろうか?当然、ぼくらは人々がなぜ笑っているのわからないし、ましてあくびをするのに理由など存在しないだろう。それにもかかわらず、相手が笑っていたり、あくびをしていると、つられて同じような行動をとっ てしまうこともある。これがBody channelに基づく伝染だ。行為に対する一種の反射であり、相手の情動などは考慮されない。とても興味深いことにあくびの伝染は同一種だけではな く、ヒト-イヌ間といった種をまたいでも生じることが報告されている。

Neonatal imitation in Rhesus Macaques

(異種間の行為の伝染っぽい動画。でもこれはimmitationだそうです。)

これに対しCognitive channelによる“視点取得”はもう少し複雑になる。伝染が相手の情動を考慮しない反射であるのに対し、視点取得は相手の視点を考慮する必要があると考えられている。つまり、「相手」という概念がなければ、このレベルの共感は成立しない。たとえば、「好物のおやつを食べられてしまい、要求吼えをしているイヌ」を見たとき、イヌの“おやつを食べたいという気持ち”を識るには、イヌが何を見て、どういった心理状態に陥っているのか把握しなければならないし、そのためには自己と非自己をきちんと認識していなければならないだろう。

自己非自己の概念形成はヒトにおいては生後2年ごろから始まるといわれている。このころになると、鏡に映る姿を自分であると認識する鏡像認知や、「わたし」と「あなた」と「もの」という三項関係の理解など自分と外界との関係性を理解できるようになる。このような自己非自己の概念が形成され、“相手の視点に立つ”という認知能力を獲得することでCognitive channelによる“視点取得”は成立する。

異なる2つのチャネルによる伝染と視点取得はそれぞれ別個に働くものではなく相補的に 機能するようだ。たとえば、先のおやつを食べられたイヌを例に挙げると、イヌの憂鬱な眼差しや耳のたれ具合に、ついついこちらも肩を落としてしまうことがあるだろう。これは伝染だが、さらに視点取得により、食べたかったおやつを食べられてしまったというイヌがおかれている文脈を知ることで、共感はますます 強化されるのではないだろうか。このように伝染と視点取得は同時に機能することで共感性を促進させる可能性がある。

さて、もうひとつ重要になるのは共感と同情の違いだ。

共感は「情報収集プロセス」、
同情は「共感に基づいて生じる心的状態」
と解釈が為されることが多いように感じる。

共感は主に「おやつを食べられてしまい、要求吼えをしているイヌ」の状態を知る能力と捉えることができる。これに対し、同情は「かわいそうに」とか「悲しい」といった主観的な解釈を加える能力だ。イヌ好きなヒトなら同情するかもしれませんが、意地悪なヒトなら「ざまあみろ」と思うかもしれない。そういった意味では同情も嘲笑も、自立応答である共感の上に形成される意識的な心的状態だといえる。共感と同情は特に日本語では類似しているような印象を受けるし、実際2つを分離することができるのか、分離する意味があるのかどうかも分からない。しかし、動物の共感性を考える上でこの違いを意識することは大切なファクターとなりえる。では、その動物たちはどの程度の共感能力を持っているのだろうか。

Body channelによる伝染はとても多くの動物が持っているものだと思われる。ヒトや霊長類で行われているような、むつかしい認知課題などを課さずとも、一 斉に飛び立つ鳥の群れや、水中で見事に渦を為す魚の群れを見れば行動が群れ全体に伝染しているのがすぐさまわかる。

問題はCognitive channelによる視点取得だ。これを測るにはむつかしい認知課題がいくつも必要になるだろう。自己認知ができるか調べ、協同注視・共有注視を調 べる必要があるかもしれない。しかし、これを動物で試すのは途方もなく難しい。実際、鏡像認知課題については先にあげた一部 の哺乳類では課題をパスできることが報告されているが、その他の認知能力については科学的な証明がほとんど為されていない。その一方、動物が他者に共 感しているようなエピソードは数多く報告されているのも事実であり、程度の差はあれ、2つのチャネルによる共感能力を有している可能性も考えられる。

共感のメカニズムについては比較認知科学、神経化学、さらに最近では工学に至るまで幅広い分野で研究がされている。それは、ひとえに共感が人と人、人と動物、人と人工物を繋ぐ潤滑油として機能する根源的な認知能力のひとつに感じられるからだろう。

(もっとも、ここで紹介した内容には、科学的な証明がなく、断片的なデータによる突飛な推測も多分に含まれている)

動物は共感するのか?なぜ共感するのか?そもそも本当に共感して いるのか?

「共感」という言葉は多くの人の関心を惹き付ける。それゆえ、共感という概念を持ち出さなくとも説明可能な現象まで共感ありきで解釈される恐れがあるし、実際そういうレイも多いように感じる。それは、共感という現象を解き明かすことはもちろん、動物の振る舞いの真理からも乖離してしまう原因となる。共感というふんわりした興味深い現象の正体を解き明かす為にも、より慎重な考察が重要になっていくだろうし、そういう議論を大切にしていきたい。

 

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